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葵祭と祇園祭と時代祭の違い・相違点は?京都三大祭の意味と一番古い歴史のものについて解説!

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京都三大祭りと言えば、「葵祭」「祇園祭」「時代祭」があります。

京都の祭りなので3つの祭りは同じ様な祭と思われていますが、全然違うんですよ!

起源も何のための祭りなのかも違うんです。

今回は「葵祭」「祇園祭」「時代祭」をそれぞれ紹介して京都三大祭りの相違点を解説していきますね。

一番古い歴史の葵祭の意味や起源・由来

5月15日に開催される葵祭は京都三大祭のひとつで、京都最古のお祭りです。

下鴨神社と上賀茂神社の例祭で葵祭は、起源がすごく古くて古墳時代の後期とされています。

その起源は分雷神(わけいかずちのかみ)が上賀茂神社近くの神山にご降臨されて、ご神託により奥山の賢木(さかき)を取り、阿礼(あれ)という神霊の出現の縁となるものに種々のいろあやを飾り付けて、走馬を行い、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行ったのが上賀茂神社の祭紀の始まりだそうです。

葵祭の目的

葵祭の始まりは、欽明天皇の時代の時に凶作はあるわ、疫病が流行るわで、なんとかしようと神様にお願いをしたんですね。

そして凶作を起こす風や雨をおさえて五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願しようと「鴨の神」の祭礼をやりました。

この「鴨の神」の祭礼を定期的にやるようになったのが「葵祭」のはじまりって言われてるんですよ。

平安時代になってからお祭りのかたちが整えられて「まつり」といえばこの葵祭を意味する位、大人気のお祭りとなっていきました。

この時の行列の参加者や牛車にも全部葵の葉で飾られて、それから葵の葉がこのお祭りの象徴になり平安時代の人たちに「葵祭」と親しまれるようになったそうなんですよ。

「葵祭」の正式名称は、「賀茂祭」といいます。今の「葵祭」と言うようになったのは、江戸時代の元禄になってからなんですね。

 

葵祭の行列は、葵祭の主役の勅使がいる本列と注目度ナンバーワンの斎王代がいる斎王代列の二列の行列で構成されています。

豪華絢爛の平安絵巻の衣装で平安時代の貴族なんですね。時代設定は平安時代なんです。

その行列は500人あまりの人達が平安絵巻の衣装を着て京都御所から上賀茂神社までの約8キロの5時間かけて歩きます。

毎年5月15日に春の京都を雅に彩る「葵祭」は、勅使が下鴨神社、上賀茂神社で天皇の祝詞を読み上げて、お供えを届けるのが目的なんですよ。

1000年伝承された祇園祭の意味や起源・由来

祇園祭の開催期間

多くの方が 祇園祭は、宵山の7月14~16日の3日間と山鉾巡行の7月17日が祇園祭だと思われています。

まさに祇園祭って感じがしますからね。でも祇園祭は、もっと長い期間のお祭りなんですよ。

どれくらいの期間かというと、7月1日から31日までの一ヶ月間にわたる長いお祭りなんです。

7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)まで一ヶ月間ほぼ毎日のように神事やお祭りがどこかで行われていますよ。

祇園祭の目的

祇園祭の最大の見どころである山鉾巡行は、平成26年から7月17日の前祭と7月24日の後祭に分けて行われています。

祇園祭は、なんの為のお祭りかと簡単に言うと疫病退散を祈ったお祭りなんです。

平安時代の京都は平安京ですね。その頃は現代医学もなにもない時代なので毎年のように疫病が流行ったんですよ。

疫病が流行るのも京都に住んでる方は、なんとなく分かる気がすると思います。

京都は盆地で高温多湿なんですよ。夏は、ビックリするくらい蒸し暑いです!

朝の清々しい時間とか感じられないくらい朝から晩までずっとムシムシして蒸し暑いです!風もあまり吹かないし、吹いても蒸し暑い風がもわぁ~と吹く様な感じですね。

今の時代は鴨川は整備されて氾濫などしませんが、昔は整備などされてなく梅雨の長雨でよく氾濫したそうです。

そして平安京の建都で人口が増加しました。

ジメジメした高温多湿に、梅雨の長雨で鴨川の氾濫、人口増加での不衛生どれをとっても医学がない時代には、疫病が流行るはずですね。

その当時は科学などまだまだ無かったですし、人々は疫病の流行を怨霊の仕業だと思ったんですね。

その怨霊とは、牛頭天王の怨霊と思われたんです。

祇園祭には、こんな伝説があります。

伝説には、牛頭天王という神様が出てきます。

その牛頭天王が花嫁探しの旅に出かけた時、途中で宿を借りようと、お金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)に頼んだんですね。

しかし巨旦将来には断られて、代わりに巨旦将来の弟の蘇民将来(そみんしょうらい)が牛頭天王を手厚くもてなして泊めたそうです。

その時に牛頭天王は、「お礼にお前の子孫は、末代まで私が守ってあげよう 目印に腰に茅の輪をつけておきなさい」と言い残して去っていきました。

この言葉を守った蘇民将来の子孫は、京都で疫病が流行った時も無事に生き残り末代まで繁栄したと言われています。

この伝説から疫病は、牛頭天王の怨霊と考えられて牛頭天王を神様と崇めて祇園社に祀ったんです。そうすると牛頭天王を祀ったら、疫病が治まったんですよ。 

平安時代の中期、貞観11(869)年に牛頭天王の怨霊を鎮めるために御霊会(ごりょうえ)をしたんですね。

これが祇園祭のはじまりと伝えられています。

祇園祭の最も重要な行事

祇園祭の開催場所は、八坂神社の祭礼なので神事は八坂神社を中心に行われます。

山鉾に関係することは、山建てや巡行などの行事は、各山鉾町が中心になって行われます。

そして祇園祭が一番ヒートアップするのが「宵山」「山鉾巡行」と祇園祭最大の見せ場ですね。

全国各地からまた世界中から見物客が京都に集結しますよ。

山鉾巡行は豪華絢爛の懸装品で飾られた山鉾が祇園囃子を奏でながら京都の町を巡行する姿は圧巻ですよ。

そして山鉾巡行が終わると祇園囃子も聞こえなくなり祭りが終わった感じがします。

しかし本当の祇園祭は「山鉾巡行」が前座で、神様が乗っておられる神輿が出る「神幸祭」「還幸祭」が本番になるんですよ。

祇園祭は山鉾巡行で市中の悪いものを掃除してから、神様が乗った神輿が通って市中を清める神輿渡御が祇園祭の最も重要な行事なんです

歴史的には若い時代祭の意味や起源・由来

毎年10月22日に時代祭が行われます。この10月22日は、平安京に遷都された日なんですね。

でも2019年は10月22日に、即位の礼の中心儀式「即位礼正殿の儀」が行われるため、時代祭を10月26日に変更して行います。

時代祭が始まったのは、1895年の明治28年からです。平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する内国博覧会が開催されました。

本当は平安京が794年に出来てから建都1100年の記念にしようと考えられていたのですが、1894年に日清戦争が勃発したしたために翌年に延期になりました。

しかも戦争の戦費がありますから、内国博覧会には十分な予算が来ない訳なんですね。

本来なら平安京の御殿を当時のそのままの姿で再現しようとしたのですが、予算の都合により当時の御殿の八分の五のサイズに小さく作ったのが今の平安神宮なんですよ。

今の平安神宮は昔からあった建物ではないんです。

今年令和元年から124年前に出来た神宮なんですね。だから新しいんです!

「100年以上なら結構古いやん」と思われるのですが京都の神社仏閣はとんでもない位古いので、それに比べたら新しいという訳なんですね。

平安神宮はパビリオン

内国博覧会は今でいう万博みたいな感じですね。

今、京都にある平安神宮は万博のパビリオン的な建物なんですが、あまりにも素晴らしいので残して神宮に改めたんです。

当初は内国博覧会が終わったら取り壊す予定みたいだったらしいですよ。

あれを壊すのは、あまりにも勿体ないですよね。残してよかったです。

私はいつも思うのですが、戦国時代とか相手のお城を燃やすでしょう、あれもったいないですよね。

今の時代は中古物件なんか当たり前ですよね、安土城とか残して住めばよかったのにと思うんです。話がそれましたね(笑)

時代まつりの目的

平安神宮のご祭神の桓武天皇と孝明天皇のご神霊に京都の市中を巡行していただくのが目的なんですね。

その巡行で約2000人の人達が各時代の衣装を着て京都御所から平安神宮までの約2キロを2時間半位かけて歩きます。

時代まつりの行列は、明治維新、江戸時代、安土桃山時代、室町時代、それから、吉野、鎌倉、藤原、奈良時代の延暦までの8つのもの時代に分かれています。

どちらの行列も素晴らしい衣装なんですが、時代設定が違うんですね。

特に色々な時代がある時代まつりは、1万2,000点に及ぶ衣裳、調度、祭具などはすべて専門家による綿密な時代考証されています。

どういう事かと言うと衣装の材料など、その当時の物と同じものを作って衣装をつくるんですよ。

その衣装だけでなく、髪型や化粧、着付けに至るまで限りなく歴史に忠実に、当時のものを復元していますからタイムスリップしたのと同じなんです。

だから牛車の軋む音なども、その時代に響いていた同じ音になる訳ですよね。

そういう事を考えてみると目でみる視覚だけでなく、聞こえてくる聴覚も楽しめますよね。

京都三大祭り「葵祭・祇園祭・時代祭」の違い・相違点

京都三大祭「葵祭」「祇園祭」「時代祭」は、祭の目的がまず違います。ここが一番の相違点だと思われます。

葵祭は五穀豊穣と天下泰平を祈り、祇園祭は疫病退散を祈ることが目的です。

葵祭と祇園祭の目的の基は「祈り」なんですが、祈る内容が違いますね。

そして時代祭は平安神宮のご祭神の桓武天皇と孝明天皇のご神霊に京都の市中を巡行していただくことが目的なので、葵祭と祇園祭とかなり相違していますね。

また葵祭は下鴨神社と上賀茂神社の祭、祇園祭は八坂神社の祭、時代祭は平安神宮の祭なので祀っている神様が違いますね

祭が始まった時代もかなり違いますよ。葵祭は古墳時代の後期で、祇園祭は平安時代の中期です。どちらも1000年以上の歴史がありますよ。

時代祭は葵祭と祇園祭に比べると非常に歴史は浅く1895年の明治28年からなので、今年令和元年ですから124年前に出来た祭になります。

祭が開催される季節も違い、葵祭は春、祇園祭は夏、時代祭は秋になりますね。

祭の楽しみの一つに夜店がありますよね、これも違いがありますよ。

葵祭と時代祭は夜店は出ません。でも祇園祭は大変たくさんの夜店が山鉾巡行の3日前くらいの宵山には出ますね。

また皆さんが見たことがある三大祭りの祭行列は雅な行列ですよね。

でも祇園祭の山鉾巡行後に行われる「神幸祭」「還幸祭」の神輿渡御は「えっ!」と思うほど大変猛々しいですよ。

多くの方は祭行列で昔の衣装を着たりするので似ていると思われていますけど、京都三大祭りはそれぞれの祭の意味や起源・由来が全く違うので相違点は多いですね。

しかし京都三大祭りは相違点が多のですが、日本中から注目されてトンデモナイ人数の観光客が京都に来られることは京都三大祭りは共通していますよ(笑)

      葵祭    祇園祭    時代祭
  祭の目的 五穀豊穣と天下泰平を祈る事が目的 疫病退散を祈る事が目的 平安神宮のご祭神の桓武天皇と孝明天皇のご神霊に京都の市中を巡行していただくことが目的
  神社 下鴨神社と上賀茂神社の祭 八坂神社の祭 平安神宮の祭
  起源 古墳時代の後期 平安時代の中期 1895年の明治28年
  夜店の有無 夜店は出ません 大変たくさんの夜店が山鉾巡行の3日前くらいの宵山には出ます 夜店は出ません
  祭行列 雅な平安絵巻の衣装の行列 山鉾巡行は雅な行列だが、山鉾巡行後に行われる「神幸祭」「還幸祭」の神輿渡御は大変猛々しい 明治維新、江戸時代、安土桃山時代、室町時代、それから、吉野、鎌倉、藤原、奈良時代の延暦までの8つのもの時代の雅な行列

まとめ

5月15日に開催される葵祭は京都三大祭のひとつで、起源がすごく古く古墳時代の後期とされて京都最古のお祭りです。

葵祭の目的は五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願し、勅使が下鴨神社、上賀茂神社で天皇の祝詞を読み上げてお供えを届けることです。

平安時代の中期、貞観11(869)年に牛頭天王の怨霊を鎮めるために御霊会(ごりょうえ)が祇園祭のはじまりと伝えられています。

祇園祭の開催期間は7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)までの一ヶ月間です。

祇園祭は、疫病退散を祈ったお祭であり山鉾巡行で市中の悪いものを掃除してから神様が乗った神輿が通って市中を清める神輿渡御が祇園祭の最も重要な行事です。

時代祭が始まったのは、1895年の明治28年からで平安京に遷都された10月22日に開催されます。

時代祭は平安神宮のご祭神の桓武天皇と孝明天皇のご神霊に京都の市中を巡行していただくのが目的です。

上記の事から京都三大祭りはそれぞれの祭の意味や起源・由来が全く違うので相違点は多いのがわかります。

 

京都は季節ごとに祭があったり、様々な行事が開催されます。その中でも京都三大祭りは注目されて見どころがいっぱいです。

京都三大祭りの意味や起源・由来を知って観光するともっと深く京都を堪能できますよ。

最後までの読んでいただき、ありがとうございました!

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