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小野篁はおじゃる丸のモデル?閻魔大王との冥界エピソードについても解説!

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小野篁はこの世では朝廷に仕えてあの世の冥界では、あの閻魔大王に仕えて冥官をしていたエピソードがあります。

井戸から冥界に行く冥界エピソードは有名ですよね。

その小野篁がモデルではないかと思うアニメがあるんですよね。

小さいお子さんから子供ががおられるパパさんママさんなら「あっ知ってる!」のアニメです。

そのアニメは何かと言うと『おじゃる丸』なんですね。

なぜ小野篁がモデルなのではないかと思われるには訳があるんですよね。

今回は、その訳を詳しく解説していきますね。

小野篁はおじゃる丸のモデル

小さい子供たちから大人まで幅広い年齢層で人気のアニメ『おじゃる丸』。

おじゃる丸の主人公、坂の上おじゃる丸が繰り広げる面白いアニメですよね。

おじゃる丸は千年前(平安時代)のヘイアンチョウ妖精界の貴族の子で、おじゃる丸がエンマ界にある「月の穴」から現世の月光町に行き来します。

まず「月の穴」でエンマ界と自由に行き来するところが小野篁に似ているんですね。

それと小野篁は、井戸から冥界に行き閻魔大王と一緒に仕事をしている話があります。

おじゃる丸もエンマ大王のシャクを拾って、エンマ大王がそのシャクを取り戻すためにおじゃる丸とエンマ大王の関係ができます。

 

整理すると「小野篁と井戸」「おじゃる丸と月の穴」が似ている。

また「小野篁と閻魔大王」「おじゃる丸とエンマ大王」もぴったりと関連性がありますよね。

おじゃる丸はかわいい男の子ですが、小野篁もおじゃる丸風に言うと「やんごとなきの男前」だったんですよ。(笑)

では小野篁はいったいどんな人物だったのかを解説していきましょう。

小野篁の経歴

小野篁は、延暦(えんりゃく)21年生まれの平安時代前期の公卿(くぎょう)です。

有名なエピソードで「昼は朝廷に夜は閻魔庁に仕える」と言う冥官伝説を持っている文人官僚なんですね。

今でいうダブルワークです(笑)

 

とても優秀な方だったので色々な伝説もあり、周りからはいつも注目されてたそうですね。

小野篁の家系も、これまたすごく聖徳太子の側近である小野妹子が祖に当たるんです。

私は小さい頃小野妹子は女性と思っていました。そう思っていた方も多分居られると思いますが(笑)

その小野妹子の子孫で、優れた文人官僚の小野岑守(みねもり)の長男として活躍していきます。

小野篁の孫には百人一首で有名な小野小町、書家で有名な小野道風と凄い方たちがいる家系なんですよ。

その凄い家系の中でも、小野篁は頭脳明晰で天才肌だったんです。

漢詩なら中国を代表する白楽天に匹敵するとも言われて東学博士になりました。

官僚としてもドンドン出世していき勘解由使(かげゆし)、参議になっています。

参議は今でいうと内閣官房長官のような役職ですね。

とんでもない優秀で超エリートですよね。

 

しかも男前で背が高いんですよ。平安時代の男性の平均身長は160センチ位なんですが小野篁は188センチもあったんです。

令和の時代でもモデルクラスの身長ですよ。

その上、武芸にも秀でていて乗馬、弓術、剣術などもなんでもござれなんです。

男前で、背は高く、スポーツ万能、超エリートの小野篁!平安貴族の女性からはモテモテだったと思います。羨ましいですね(笑)

小野篁の百人一首の歌

おじゃる丸は歌と蹴鞠(けまり)が得意ですよね。

実は小野篁も歌がすごいんです!百人一首の11番にはいっているんですよ。

その歌は「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌です。

「広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、と都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ。」という意味なんです。

この歌が詠まれた背景には小野篁の性格が関係してきます。

小野篁は、とても素直なんですがそれが真っ直ぐすぎるんです!

直情径行の性格で、筋が通っていない間違ったことが許せないんですよ。

常識にとらわれずに言いたいことをズバズバいうので「野宰相(やさいしょう)」「野相公(やしょうこう)」「野狂(やきょう)」とあだ名がついたほどです。

そんな性格なので承和1(834)年遣唐副使に任命されたのですが3度目の出発のときに、大使藤原常嗣から小野篁の船に変えろと言われ無茶苦茶怒ったんです!

普通、朝廷の命令に逆らうことは出来ないですが病気と偽って乗船を拒否したため隠岐に配流されたんですね。

その時の小野篁の孤独を表している歌なんです。

実にやんごとなき小野篁なんですね。

閻魔大王との冥界エピソード

おじゃる丸とエンマ大王のやり取りは面白いですよね。

おじゃる丸はエンマ大王のシャクを拾って自分のシャクって言い張って返さないし、エンマ大王も返せ!って言って小鬼たちに取りに行かせたりしてますよね。

おじゃる丸とエンマ大王の関係みたいではないですが、小野篁と閻魔大王との信頼関係が分かる小野篁の冥界の冥官としての逸話は色々とあります。

なかでも有名な話は、小野篁の恩人の藤原良相(ふじわらのよしみ)が病気で他界して閻魔大王の裁きを受けている時に小野篁が閻魔大王に掛け合って藤原良相を生き返らせた話や、また藤原高藤が鬼に会って急死した時も閻魔大王に掛け合って生き返らせた話がありますね。

私が思う閻魔大王と小野篁の冥界の仕事風景

藤原良相が見た光景を想像すると面白いですよ。

藤原良相が閻魔大王の前で怖くてどうしようと思っている時に、閻魔大王の横に居る冥官が言うわけですよ。

小野篁「閻魔大王様、藤原良相はものすごくええ方なんですよ、なんとか生き返らせてもらえないでしょうか。」

閻魔大王「えー!篁さん、それは無茶苦茶難しいわ。でも篁さんがそこまで言うんやったら、しょうがないですね。生き返らせてあげましょう!」

小野篁「ありがとうございます!閻魔大王様!」

とこんな感じだったと思いますね(笑)

閻魔大王が小野篁の頼みを聞いてくれるんですよ。

すごいですよね。よっぽどの実力と信頼がなければ出来ないと思います。

昼間は朝廷でバリバリのエリートで仕事をして、夜は冥界でも閻魔大王の隣でバリバリ仕事をしているんですよ。

小野篁の逸話は不思議な話なんですが、『群書類従』の「小野系図」にも小野篁は「閻魔第三の冥官」とハッキリと書いてあります。

ですから小野篁の逸話をなかなか否定も出来ないんですよ。

 

小野篁と閻魔大王の冥界のエピソードが、おじゃる丸とエンマ大王とのストーリーになったのかもしれないですね。

一般的に閻魔大王のイメージは、もし悪い事をしてたら「お前は地獄行きじゃ!」と裁かれて地獄に落とされるイメージですよね。

でも小野篁は閻魔大王に信頼され一緒に仕事をしてるんですよ。

もっとすごいのが、おじゃる丸なんかエンマ大王のシャクを自分の物って言い張って返さないんですから。

小野篁とおじゃる丸2人は閻魔大王のイメージを見事に変えてしまったんですから、やんごとなきですよね。

まとめ

小野篁はおじゃる丸のモデルと言われています。

モデルと言われている理由には小野篁とおじゃる丸の現世と冥界を行ったり来たりする行動がよく似ている、また小野篁とおじゃる丸はともに閻魔大王と関係性がある事です。

小野篁はおじゃる丸と同じで歌が上手く、小野篁の歌「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」は百人一首の11番にはいっています。

おじゃる丸とエンマ大王のエピソードと同じ様に小野篁には閻魔大王との冥界エピソードが色々とあります。

小野篁とおじゃる丸2人は閻魔大王のイメージを見事に変えて閻魔大王を親しみやすくしました。

 

閻魔大王との冥界エピソードが色々ある小野篁がおじゃる丸のモデルだとしたら、とても親しみやすいですよね。

もし平安時代にプリンがあれば、小野篁もプリンがやんごとなき好物だったと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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