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小野篁の閻魔大王との冥界エピソード!妹との叶わぬ恋と井戸の関係についても

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小野篁はこの世では朝廷に仕えてあの世の冥界では、あの閻魔大王に仕えて冥官をしていたエピソードがあります。

井戸から冥界に行く冥界エピソードは有名ですよね。

では小野篁にどうして冥界エピソードが生まれたんでしょう。

それには小野篁の妹が関係するんですよ。

今回は小野篁がどの様にして冥界に行き、どんな事をしたのかを詳しく解説していきますね。

小野篁の経歴

小野篁は、延暦(えんりゃく)21年生まれの平安時代前期の公卿(くぎょう)です。

有名なエピソードで「昼は朝廷に夜は閻魔庁に仕える」と言う冥官伝説を持っている文人官僚なんですね。

今でいうダブルワークです(笑)

とても優秀な方だったので色々な伝説もあり、周りからはいつも注目されてたそうですね。

小野篁の家系も、これまたすごく聖徳太子の側近である小野妹子が祖に当たるんです。

私は小さい頃小野妹子は女性と思っていました。そう思っていた方も多分居られると思いますが(笑)

その小野妹子の子孫で、優れた文人官僚の小野岑守(みねもり)の長男として活躍していきます。

小野篁の孫には百人一首で有名な小野小町、書家で有名な小野道風と凄い方たちがいる家系なんですよ。

その凄い家系の中でも、小野篁は頭脳明晰で天才肌だったんです。

漢詩なら中国を代表する白楽天に匹敵するとも言われて東学博士になりました。

官僚としてもドンドン出世していき勘解由使(かげゆし)、参議になっています。

参議は今でいうと内閣官房長官のような役職ですね。

とんでもない優秀で超エリートですよね。

しかも男前で背が高いんですよ。平安時代の男性の平均身長は160センチ位なんですが小野篁は188センチもあったんです。

令和の時代でもモデルクラスの身長ですよ。

その上、武芸にも秀でていて乗馬、弓術、剣術などもなんでもござれなんです。

男前で、背は高く、スポーツ万能、超エリートの小野篁!平安貴族の女性からはモテモテだったと思います。羨ましいですね(笑)

 

なぜ閻魔大王との冥界エピソードがあるのか

小野篁のエピソードには井戸から冥界に行き閻魔大王と一緒に仕事をしている話があります。

その冥界エピソードは有名ですが、なんで小野篁は冥界に行くようになったのかは、あまり書かれていないですよね。

実は冥界に行くようになった理由があるんです!

冥界に行くようになったのは、母親が違う妹、異母妹の存在なんですよ。

その妹が宮仕えをしようとしているので小野篁が家庭教師になるんです。

小野篁は天才ですから教えるのも上手なんでしょうね。

また妹と言っても母親が違うし一緒に育っていないですから、今の時代で言う家族の妹とは違うんですよ。

そして小野篁が異母妹の家庭教師をしている時に二人は恋に落ちてしまって、やがてその異母妹が小野篁の子供を身籠ることになるわけですよ。

それを知った母親がブチぎれて娘を幽閉してしまうんです。

母「ちょっと篁さん!何しくれはりますの(怒)」

篁「母上様、私達は」

母「聞きたくありません!あの子は幽閉します!」

と、こんな感じだったのかも知れませんね。

そして幽閉された妹は、可哀そうにそのまま死んでしまうんですよ。可哀そうでしょう。

辛くて辛くて、妹の遺体にすがって嘆き悲しんでいる小野篁の前に現れるんです、妹の幽霊が!

それからまた小野篁と妹の幽霊との関係が続いて、妹の幽霊と一緒に冥界に行くようになったんですよ。

妹と叶わぬ恋に終わった篁の心情を詠った歌

愛する妹が亡くなった時に詠んだ歌がこの歌です。

泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに(『古今和歌集』)

意味は、涙が冥界の雨になって三途の川が増水したら妹も渡れなくなって帰ってくるだろうなんですね。

この歌は小野篁の素直な性格が表れていますよね。

小野篁と妹が一緒に冥界に行く入り口が有名な六道珍皇寺にある井戸なんですよ。

ここから小野篁の冥界エピソードが始まっていくんです。

冥界の冥官としての仕事

小野篁の冥界の冥官としての逸話は色々とあります。

なかでも有名な話は、小野篁の恩人の藤原良相(ふじわらのよしみ)が病気で他界して閻魔大王の裁きを受けている時に小野篁が閻魔大王に掛け合って藤原良相を生き返らせた話。

また藤原高藤が鬼に会って急死した時も閻魔大王に掛け合って生き返らせた話がありますね。

藤原良相が見た光景を想像すると面白いですよ。

藤原良相が閻魔大王の前で怖くてどうしようと思っている時に、閻魔大王の横に居る冥官が言うわけですよ。

小野篁「閻魔大王様、藤原良相はものすごくええ方なんですよ、なんとか生き返らせてもらえないでしょうか。」

閻魔大王「えー!篁さん、それは無茶苦茶難しいわ。でも篁さんがそこまで言うんやったら、しょうがないですね。生き返らせてあげましょう!」

小野篁「ありがとうございます!閻魔大王様!」

とこんな感じだったと思いますね(笑)

閻魔大王が小野篁の頼みを聞いてくれるんですよ。

すごいですよね。よっぽどの実力と信頼がなければ出来ないと思います。

昼間は朝廷でバリバリのエリートで仕事をして、夜は冥界でも閻魔大王の隣でバリバリ仕事をしているんですよ。

小野篁の逸話は不思議な話なんですが、『群書類従』の「小野系図」にも小野篁は「閻魔第三の冥官」とハッキリと書いてあります。

ですから小野篁の逸話を「そんなアホな」ってなかなか否定も出来ないんですよ。

小野篁の業績

小野篁の逸話はどうして生まれたのか私なりに考えてみました。

皆さんには、平安時代の京都は綺麗なイメージがあると思います。

清少納言や紫式部の書き物や百人一首の歌から雅な世界が想像できますよね。

でもその世界は貴族や位の高い僧とかの別世界の話なんですよね。

一般の人達はどうだったかと言うと貧乏なんです!

それも今の時代とは違う「着るもの・食べるもの」がない世界なんです。

その人達が亡くなったらどうなるでしょう?

怖いですけど答えは、野垂れ死になんですね。

お墓に埋葬されたりできるのは、一般の庶民ではなくて雅な世界に居る貴族や位の高い僧だけなんですよ。

だから市街地は疫病や飢えで亡くなった庶民の死体がそこらじゅうにあったんです!

市街地に死体がそこら中にあると衛生も最悪やし、道徳や風俗的にもダメでしょう。

そこで小野篁が立ち上がるんです!

天才的な官僚である小野篁は、市街地の有り様を見て葬場の整備と火葬を進めて行くんですね。

小野篁は、人々に今生きている現世と死んだ後の冥界を説いていくんです。

そして平安京の都を良くするために、葬場の整備をして人々に冥界を説いた小野篁に冥界の冥官の逸話が生まれたんだと私は思います。

京都の葬場「鳥辺野・化野・蓮台野」

それでは小野篁が整備して冥界の冥官の逸話が生まれた葬場を見ていきましょう。

平安時代の京都には3つの大きな葬場がありました。

その3つの葬場の地名は「鳥辺野・化野・蓮台野」です。

さてこの3つの葬場の地名を読めますか?

読める方は、京都に住んでいる方か歴史に精通している方でしょうねー(笑)

答えは、まず1つ目の「鳥辺野」は「とりべの」と読みます。

次に2つ目を飛ばして先に3つ目の「蓮台野」は「れんだいの」と読むんですよ。

まあこの2つは、そんなに難しくはないですよね。

それでは最後の「化野」はどう読むんでしょうか?

難しいでしょう!「ばけものの」「けや」と色々考えている方も居られると思います。

これはなかなか読めないですよ。

正解は「化野」は「あだしの」と読むんです!

私も京都に住んでいなかったら絶対に読めなかったと思います(笑)

しかし亡くなった方の亡き骸の葬場が「化野」って漢字をみても怖いですよね。

でもこの「化」はバケモノの意味ではなくて「変わる」と言う意味なんです。

生きていた方が亡くなって亡き骸に変わって、極楽浄土の願いとまたこの世に生まれ変わる意図があるそうです。

さてこの3つの地名を見て勘のいい方は気付いたかもしれないですね。

それは何かと言うと全部に「野」という字がついています。

平安時代の京都では「野」と言う字には葬送の意味があるんですね。

「鳥辺野・化野・蓮台野」は亡き骸を土に埋めずにそのままにさらしておく風葬の地だったんですよ。

鳥辺野はそのまま亡き骸をさらしておくので、鳥が食べたりしたので鳥葬のようなものだったので鳥辺野と地名が付いたと言われています。

 

まとめ

小野篁は、延暦(えんりゃく)21年生まれの平安時代前期の公卿(くぎょう)で「昼は朝廷に夜は閻魔庁に仕える」と言う冥官伝説を持っている文人官僚です。

小野篁は頭脳明晰、直情径行の性格なので「野宰相(やさいしょう)」「野相公(やしょうこう)」「野狂(やきょう)」とあだ名がつきました。

朝廷に逆らって配流され「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」と言う歌をよみ百人一首に入っています。

小野篁が異母妹と二人は恋に落ちてしまったが、妹が亡くなり妹の幽霊と一緒に冥界に行くようになった。

小野篁の冥界の冥官としての逸話は色々とあるが『群書類従』の「小野系図」にも小野篁は「閻魔第三の冥官」とハッキリと書いてあります。

小野篁は葬場を整備して、市街地のそこら中にある亡き骸を「鳥辺野・化野・蓮台野」の葬場で葬送すようにしました。

葬場の整備をして人々に冥界を説いた小野篁に冥界の冥官の逸話が生まれたと推測されます。

 

京都の歴史上の人物は不思議な逸話がある方がたくさんいます。

そんな不思議な逸話がある京都のミステリーを是非堪能してみてくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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