葵祭の主役は斎王代じゃなくて勅使?祭りの意味や起源・由来についても解説
5月15日 春の京都を雅に彩るお祭りが「葵祭」です。
平安絵巻が再現される祭行列は、なんと長さ1キロメートルにも及びます。
祭行列には、本列と女人列があり本列に主役の勅使さんがおられて、女人列に注目の斎王代さんがおられます。
今回は、京都の春の風物詩「葵祭」を紹介していきますね。
目次
葵祭の意味や起源・由来
5月15日は、葵祭は京都三大祭のひとつで、京都最古のお祭りです。下鴨神社と上賀茂神社の例祭で葵祭は、起源がすごく古くて古墳時代の後期とされています。古墳時代って想像できないですよね。
その起源は分雷神(わけいかずちのかみ)が上賀茂神社近くの神山にご降臨されて、ご神託により奥山の賢木(さかき)を取り,阿礼(あれ)という神霊の出現の縁となるものに種々のいろあやを飾り付けて、走馬を行い、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行ったのが上賀茂神社の祭紀の始まりだそうです。
葵祭の始まりは、欽明天皇の時代の時に凶作はあるわ、疫病が流行るわで、なんとかしようと神様にお願いをしました。凶作を起こす風や雨をおさえて五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願しようと「鴨の神」の祭礼をやりました。この「鴨の神」の祭礼を定期的にやるようになったのが「葵祭」のはじまりって言われてるんですよ。
平安時代になってからお祭りのかたちが整えられて「まつり」といえばこの葵祭を意味する位、大人気のお祭りとなっていきました。この時の行列の参加者や牛車にも全部葵の葉で飾られて、それから葵の葉がこのお祭りの象徴になり平安時代の人たちに「葵祭」と親しまれるようになったそうなんですよ。「葵祭」の正式名称は、「賀茂祭」といいます。今の「葵祭」と言うようになったのは、江戸時代の元禄になってからなんですね。
葵祭に欠かせないフタバアオイの準備
葵祭で使用するフタバアオイは1万数千本になります。毎年このフタバアオイを準備するのに大変な苦労があるんですよ。フタバアオイは京都の北山の奥深い谷で自生しているのですが、刈り取ると長く保存ができないので葵祭の4日前に一気に刈り取ります。
しかし近年の自然環境の変化や鹿による食害で数が減って来ています。そこで全国の有志からフタバアオイを奉納してもらったりするなどの大変なご苦労をされています。葵祭の華やか行列で皆さんが身に付けているフタバアオイは、祭を大切にされている方々の思いがこもっているんですね。
あの光源氏も参加した葵祭
今は海外の方も葵祭を見物しようと、たくさんの方が春の京都に来られますが、現代だけじゃなく昔の京都もすごく大勢の見物客が葵祭に来られてたそうです。
古典の代表作「源氏物語」の物語の中でも大変多くの見物客が来ていたと書いてあり、源氏物語の主人公「光源氏」も行列に参加されています。第九帖の「葵」でも葵上と六条御息所の車争いのところに、大路は牛車が止めるところもないほど見物客でごった返していたと書かれています。
私が高校の古文の授業で、源氏物語のこの六条御息所を習った時に六条御息所って方が生き霊になって本当は怖くて悲しい人なんですけど、なんか休憩所みたいな名前やなぁと思ったことを覚えています。
葵祭は、雅なところだけじゃなくて六条御息所の女の執念と哀しさが名場面になる奥が深いお祭りなんですね。
その光源氏も参加した賀茂祭は、鎌倉時代まで続いたんですが応仁の乱以降は途絶えしまい、そして元禄7年に徳川五代目将軍綱吉の母である桂昌院の肝いりで再興され「葵祭」となって幕末まで続きました。でも戊辰戦争があって、また中断してしまったんです。乱とか戦争があると悲しいことに祭は無くなるんですね。現在の葵祭は、明治17年以降に復興されたんですよ。
現代のお姫様「斎王代」になれる女性の条件
京都では、春になると今年の葵祭の斎王代が発表されます。
毎年、現代の京都にお姫様が帰って来られるから京都の住民にとって今年は、どこのお嬢さんなんやろ?と興味しんしんです。
どんなお嬢さんが選ばれるか一言で言うと ええとこのお嬢さん!なんです。
斎王代を選考方法は、昔から秘密なんです!ある条件がありピッタリと条件に当てはまってないとダメなんですよ。
その条件は、未婚で京都に住んでいて、京都にゆかりがある女性です。京都に住んでいて結婚しておられない女性は、たくさん居られますよね。
最後の京都にゆかりがある女性っていうのがポイントなんですよ!
ここが京都に住んではる皆さんは、わかるんです!京都にゆかりがある女性とは、ええとこのお嬢さんなんですよ。普通のええとこと違うんです。もう もの凄う ええとことのお嬢さんなんですよ!お家柄とかもよくて京都の人が聞かはったら皆さんが、ああ~あそこのお嬢さんねとわかるくらいのお家柄です。
京都は、伝統があるお家や歴史があるお家をものすごく大事にしはりますし、京都に住んではる人達にも愛されてますから斎王代のお姫様は、京都住民に すごく愛されて尊敬されるんですよ。
華やかさの「斎王代」と地味だけど主役の「勅使」
私は、京都に住んでいて、ずっと葵祭の主役は斎王代やと思っていたんです。勉強不足でした!お恥ずかしい(笑)でも、たくさんの方が主役は、斎王代やと思ってるんですね。すごく綺麗で、華やかですからね。
葵祭の主役は、本当は、勅使なんですよ!祭の中では、天皇の使いで大行列中の最高位者なんです。葵祭は、勅使が下鴨神社、上賀茂神社で天皇の祝詞を読み上げて、お供えを届けるのが目的なんです。この勅使も 京都のお偉いさんがなられますよ。
斎王代は綺麗なお姫様としか知らない方が多いですね。斎王代の意味は、斎王に代わる者なんです!平安時代の葵祭は、国の祭でその平安時代には、賀茂の宮に斎王がおられて葵祭に奉仕されてたんですね。だから今の葵祭でその斎王の代わりを果たされる、お嬢さんが斎王代という事になるんですよ。
一見さんお断り葵祭の衣装
葵祭の衣装は、着付けされる先生も特別な方なんです。葵祭で斎王代の近くにいる命婦(みょうぶ)女嬬(にょうじゅ) 駒女(むなのりおんな)の衣装を4年間着ていた方々に教えてもらいました。
葵祭の祭行列に参加できるの方も、京都にゆかりがある方なんですね。
京都には、一見さんお断りの風習があるのですが、この風習は他所さんから見たらイケズや、なんや偉そうにとか思われるんですけど決してそうでは、ないんです。一見さんお断りは、身元がハッキリしていることで信用があるということなんですよ。身元がハッキリしている信用がある方しか、あの雅な平安絵巻の衣装を着ることができないんです。
豪華絢爛な平安絵巻の衣装は重い!
葵祭の当日 まだ暗い朝の4時から5時に京都御所に行って皆さん並んで衣装を着せてもらいます。(ちなみに京都に住んではる方は、京都御所とは言わないで御所と言わはりますよ。)
たくさんの人達ですから、着物を着たら次は髪のセットとかお顔に白粉を塗ったりで、ものすごく忙しいんですって。
そして10時30分に京都御所を出発して約5時間かけて上賀茂神社まで歩いて行かれます。
途中 下鴨神社で食事などの休憩をはさみますが 女人列の女官の衣装を着た女性は、大変疲れるらしいです。衣装が重たいですからね
斎王代の十二単は、10キロを超えますしその十二単を着て狭い輿でずっと揺られてますからものすごく疲れるんです。でもそれを見せないのが斎王代なんですよ。すごいでしょう!
この話を聞いたら ますます斎王代のお姫様が素敵に見えるし 応援したくなりますね。
女官の衣装を着られてた方が すごく面白いお話をしてくれました。葵祭の祭行列は綺羅びやかで平安絵巻そのものなんです。朝 京都御所を出発して上賀茂神社まで歩いて祭行列が終わると衣装を脱ぐんです。重たいし疲れてますからね。でもお化粧は昔の特殊な化粧なので京都御所に帰ってきてから 落とすらしいです。皆さん白粉のお化粧をしたまま上賀茂神社からバスに乗って京都御所に帰って来られるそうです!
京都の方は、太秦では時代劇のお侍さんが普通にお店でご飯たべたりされているのを見慣れていますから普通ですけど 他所さんから来た方は、ビックリされると思いますよ。
葵祭の裏情報も知ると葵祭が一段と楽しめるとおもいます。
まとめ
葵祭は、京都三大祭のひとつで京都最古のお祭りです!
平安時代に行列の参加者や牛車にも全て葵の葉で飾られて「葵祭」と親しまれました。
葵祭の主役は斎王代ではなくて、天皇の使いである勅使です。
斎王代になれる女性は、京都在住の独身女性で 京都にゆかりがある女性が選ばれます。
現代でも 昔ながらの技法で着物の着付け お化粧をされています。
京都は、昔からの伝統を大事にして祭の神事、行事を行います。葵祭は、そんな京都の伝統を感じることが出来ます。葵祭の豪華絢爛の平安絵巻を見て平安時代にタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!